せんはっぴゃくななじゅうはちねんのこと、わたしはろんどんだいがくでいが くはかせごうをしゅとくし、つづけてりくぐんぐんいのぎむかていもおさめる べくねっとりぃへすすんだ。そこでかていしゅうりょうしたのち、せいしきに ぐんいほとしてだいごのーざんばらんど・ふゅーりじあれんたいづきとなった 。とうじれんたいはいんどにちゅうとんしていたが、わたしのふにんにさきだ ち、だいにじあふがんせんそうがぼっぱつ。ぼんべいにとうちゃくするやいな や、れんたいはとうげのむこうてきじんふかくにあり、ときかされることとな った。だがきょうぐうをともにするおおくのしかんたちとれんたいをおい、ぶ じかんだはーるへたどりつくと、わがれんたいがそこにいたので、すぐさまち ゃくにんするかっこうとなった。  このせんえきはおおくのものにろんこうこうしょうをもたらすかたちとなっ たが、わたしにはただふうんさいやくあるのみだった。れんたいをめんぜられ 、つぎににんぜられたのはばーくしあれんたいづきで、かくしてまいわんどの げきせんへさんかしたのである。せんとうのなか、わたしはじぇざいるだんを かたにうけたため、ほねはくだけ、さこつかどうみゃくにけいしょうをおって しまった。すんでのところでさっきみなぎるがーじへいしのてにおちそうだっ たが、じょしゅかんごへいまりがゆうもうかかんなこうどうにうちでて、にば のうえにほうりのせられたわたしは、まりによってあんぜんなえいぐんせんせ んまでうまくつれかえされたのである。  つもりつもったひろうとふしょうとがあいまって、わたしはすいじゃくしき ったため、おびただしいかずのふしょうへいといっしょにぺしゃわーるのこう ほうきちびょういんへこうそうされた。わたしはりょうようのすえ、びょうと うをあるきまわり、ヴぇらんだでにっこうよくができるほどまでかいふくし たのだが、そんなときいんどりょうののろいのちょうちふすにかかり、びょう しょうにふくしてしまった。すうかげつかん、わがいのちはとうげをさまよっ た。いしきをとりもどしびょうじょうがうわむいたときには、わたしはすっか りやつれおとろえ、ついにはいきょくからいっこくもはやくほんごくへきかん させよ、とのしんだんがくだった。さっそくそのままぐんたいゆそうせんおろ んてぃーずごうにのせられ、いっかげつごぽーつますさんばしにじょうりくし たのだが、わたしのけんこうはみるかげもなく、そこくせいふからむこうきゅ うかげつのせいようきょかをいただくというありさまだった。 いんぐらんどにはしんるいちきがひとりとしておらず、くうきのようにきま まであり、いちにちいちしりんぐろくぺんすのしきゅうがくをゆるすかぎりは かってにすごせた。このようなじょうきょうかでは、ぜんていこくのだきけん たいのはきだめ、ろんどんにわたしがいつくのはとうぜんのことだった。しば らくすとらんどのぷらいヴぇーと・ほてるにねとまりし、むみかんそうなせ いかつをおくり、きんせんをゆみずのごとくつかっていた。するとわたしの さいふはそこをつきはじめ、そこでにしゃたくいつをせまられているげんじょ うにようやくきがついたのである。このだいとしをさりいなかへひきはらうか 、もしくはいまのせいかつをこんていからあらためるか。わたしはこうしゃを えらび、まずほてるをさることをこころにきめ、しゃれっけをいくぶんおとし てもよいから、そのぶんやすい、そんなへやをさがしはじめた。 こういうけつろんにいきついたそのひ、くらいてぃりおんさかば ばー のま えにつったっていると、だれかにかたをたたかれた。ふりかえってみると、な んとばーつでわたしのしゅじゅつじょしゅだったすたんふぉーどせいねんがそ こにいたのである。このだいとかいろんどんでしったかおをみて、わたしのさ みしさもあらわれるようだった。せきじつ、すたんふぉーどとそれほどしたし いわけではなかったが、わたしがこころのこもったあいさつをすると、すたん ふぉーどもうれしそうなかおをみせてくれた。わたしはよろこびついでにほる ぼーんでいっしょにしょくじでもとろうとさそい、ふたりしてはんそむがたば しゃでしゅっぱつした。 「わとそん、いまはなにをしているんだ」とすたんふぉーどはおどろきをかく せずきいてきた。ちょうどばしゃがろんどんのざっとうをかきわけはしってい るときだった。「はりがねみたいにやせて、はだのいろもくるみみたいじゃな いか。」 わたしはふこうばなしがおわると、すたんふぉーどはどうじょうまじりに、 「とんださいなんだったね。これからどうするつもりだい」 「げしゅくをさがしていてね、なんとかよいへやをてごろなやちんでかりられ んかとくしんしているのだが。」 するとはなしあいては、「きぐうだな。きょうそのことばをきいたのはきみで ふたりめだ。」 「ならひとりめがいるのかね」とわたし。 「びょういんのかがくじっけんしつでけんきゅうをしているやつなんだ。けさ なげいていたんでりゆうをきいてみると、よいへやがあるんだけどふところぐ あいにみあわなくて、かといってやちんをせっぱんするにんげんもみあたらな いとか。」 「なんと へやとやちんをわけあうなら、わたしなぞうってつけのおとこでは ないか。わたしもひとりよりはぱーとなーがいたほうがいいし。」 すたんふぉーどせいねんはわいんぐらすごしにおどろきのめをみせた。「し ゃーろっくほーむずさんをしらないんだったね。じんせいのはんりょなんてま っぴらだ、っておもうことうけあいだよ。」 「かれとわたしではきがあいそうにないのか」 「いやいや、きがあわないとかそういうことじゃない。ちょっとかわったはっ そうをするやつでね、かがくのほうにめがないんだ。なかなかいいやつだとは おもうんだけど。」 「いがくせいかなにかかね」 いいや まったくどういうひとなんだかわからないんだ。かいぼうがくにあか るいし、いちりゅうのかがくしゃともみえる。でもしるかぎり、たいけいてき ないがくのべんきょうをしたようすはなさそうで。かれのけんきゅうはまさに きまぐれきばつ、それでいてきょうじゅもおどろくくらい、かれのあたまはち しきのほうこなんだ。」 「ほんにんになにをしているのかといたださなかったのかね」 「ええ、きがるにはなしをしてくれるひとじゃないんで。ほんにんのきがむけ ば、いくらでもはなしてくれるんだけど。」 「あいたいね。」とわたし。「だれかとげしゅくにすむなら、けんきゅうねっ しんでものしずかなおとこがいい。まだぜんかいしたわけじゃないから、せか せかしたり、はらはらしたりするのはきつくてね。どちらもあふがにすたんで いっしょうぶんたいけんしてきたからもうけっこうだ。どうすれば、そのきみ のしりあいとやらにあえるのかね」 「きっとじっけんしつにいるよ。」とすたんふぉーどはこたえる。「なんしゅ うかんもかおをださないこともあるけど、あさゆうずっとけんきゅうのために つめこんでいることもあってね。よければ、しょくごにばしゃでいこうか。」 「そうしよう。」とわたしはへんとうし、かいわはべつのわだいへとうつった 。 ほるぼーんをあとにしてびょういんへむかうどうちゅう、すたんふぉーどはわ たしがどうきょにんときめこんだしんしについてにさん、つっこんだはなし をしてくれた。 「うまがあわなかったからって、ぼくのせいにしないでくれよ。じっけんしつ でたまにかおをあわせるくらいで、それいじょうのことはしらないんだから。 きみがきめたことなんだから、ぜったいぼくにせきにんをおしつけるなよ。」 「うまがあわねば、わかれるまでだ。どうもね、すたんふぉーど、」とわたし はあいてをけわしいめでみつめながら、はなしをつづける。「きみはこのけん にのりきではないみたいだ。そのおとこ、きしょうがあらいとか、なにかある んじゃないか きちっといってくれ。」 すたんふぉーどはわらい、「ひょうげんできないことをいえとは、これはよ わったな。ほーむずというおとこはちょっとかがくがすぎるんだよ。れいけつ といってもいい。かれがゆうじんにしんはっけんのしょくぶつせいあるかろい どをいっぷくもったとしても、そうぞうにかたくない。もちろんそれもあくい じゃなくて、たんにせいみつなこうのうがしりたいがためのたんきゅうしんか らきてるというんだからね。これはいいすぎだけど、じぶんにもったりはしか ねないよ。ことげんみつせいかくなちしきにねつをあげているんだ。」 「けっこうじゃないか。」 「ええ、でもどがすぎるとね。かいぼうしつのなか、したいをすてっきでたた いてまわるときけば、そのへんじんぶりもわかってくるだろう」 「したいをたたく」 「そう、しごどのていどのじかんまでだぼくしょうがあらわれるかのじっしょ うだとさ。げんばをこのめでみたよ。」 「それでもいがくせいではないというのか」 「ああ。かれのけんきゅうのゆくすえは、かみのみぞしる、だ。まぁついたか ら、ひととなりをじぶんでたしかめることだね。」かくしてわれわれはこみち へはいり、だいびょういんのいっとうへむかうちいさなうらぐちをくぐった。 わたしにはなじみのばしょだから、あんないもなく、さっぷうけいなかいだん をのぼり、しっくいのかべとくすんだどあのつづくながいろうかをすすんでい った。つきあたりのまえに、ひくいあーちがたのてんじょうがついたろうかが ぶんきしていて、じっけんしつにいたるのである。そこはてんじょうのたかい へやで、がらすびんがならんだりちらかったり、かずかぎりなかった。あしの ひくいおおづくえがさんざいし、うえにはれとると、しけんかん、あおびゆら めくこがたのぶんぜん・ばーなーなどがいたるところにあった。へやにいたの はひとりのけんきゅうしゃで、おくのてーぶるにのめるかっこうで、けんきゅ うにいそしんでいた。われわれのあしおとにふりかえると、うれしいこえをあ げ、じょうたいをおこした。「みつけた はっけんだ 」とおとこはわたしのつ れにこえをはり、てにしけんかんをもってはしってきた。「へもぐろびんに ちんちゃくし、それいがいにははんのうしないしやくをはっけんした。」たと えきんみゃくをほりあてたとしても、これほどよろこびにみちあふれたかお はできないだろう。 こちらはわとそんはかせです、しゃーろっく・ほーむずくん。」とすたんふぉ ーどはわたしをしょうかいしてくれた。 「はじめまして。」とせいいのこもったこえで、おとこはわたしのてをしんじ がたいほどかたくにぎりしめた。「さっするに、あふがにすたんにおられたと 。」 「なぜに、そのことをごぞんじで」とわたしはおどろきのあまりききかえした 。 おとこはふっとわらい、「おきになさらぬよう。とうざのもんだいはへもぐろ びんです。このわがはっけんがいかにじゅうようかおわかりになりますね」 「もちろんかがくてきにきょうみぶかくはあるが、じつようのめんでは」 「いやいや、あなた、これはきんねんもっともじつようてきなほういがくじょ うのはっけんなのです。けっこんけんしゅつのかんぜんむけつなほうほうがこ れだとは、そうぞうもつかないでしょうがね。こちらへきてごらんください」 とおとこはむちゅうでわたしのこーとのそでをつかみ、けんきゅうしていたて ーぶるへわたしをひきずっていった。「せんけつをさいしゅして、」とおとこ はみずからのゆびにながいはりをさし、ながれでたちのひとしずくをじっけん ようぴぺっとですいとり、「さぁ、このしょうりょうのけつえきをいちりっと るのみずにくわえます。できあがったこんごうぶつがみため、まみずとかわら ないことはおわかりですね。けつえきのわりあいはひゃくまんぶんのいちいか 。しかしとくゆうのはんのうをえることができると、わたしはしんじてうたが いません。」いうにおなじくして、おとこはしろいえきたいをしょしょうよう きのなかにおとし、ついでとうめいのえきたいをすうてきくわえた。みるみる はちになかみはくすんだまほがにーのいろをていし、がらすようきのそこにか っしょくりゅうしのちんでんがあらわれた。 「よし、きた」とおとこはこえをはりあげてをたたき、しんぴんのがんぐをあ たえられたこのようにききとしてみつめていた。「これをどうおもわれますか 」 「ずいぶんせいみつなけんしゅつほうほうだとおみうけするが。」 「ぜつみょう、ぜつみょうですな きゅうしきのぐあやっくほうはひじょうに わずらわしく、ふせんめいなものでした。けっきゅうのけんびきょうけんさと ておなじこと。こうしゃなぞしみがすうじかんもけいかすれば、やくたたずで す。だがこれならば、けつえきがふるくもあたらしくもうまくはんのうしてみ せます。このほうほうがいぜんにはつあんされていたとしたなら、いまちまた をのうのうとあるくなんびゃくものにんげんも、とうにみずからのはんざいの むくいをうけていたでしょうに。」 「そうですな。」とわたしはこごえでかえす。 「はんざいじけんはいかなるときもこのいってんいかんというしまつだ。なん かげつもまえにはんざいをおこしたかのうせいのある、ようぎしゃがいたとす る。そのじんぶつのしたぎやいふくをしらべると、かっしょくのしみがはっ けんされる。これはけつえきかおでいか、さび、はたまたかじゅう、いったい なんなのだ かずおおくのせんもんかをもなやますなんだいだが、それはなぜ か しんらいしうるけんしゅつほうほうがないからだ。さぁ、このしゃーろっ く・ほーむずほうがあるからには、もはやなんにもわずらうことはありますま い。」 はなしているあいだ、おとこのめはぎらぎらとかがやいていて、むねにてをあ てがったかとおもうと、かっさいをおくるそうぞうじょうのちょうしゅうにた いするがごとく、おじぎした。 「しょうさんにあたいする。」わたしはおとこのしんすいぶりにどぎもをぬか れた。 「たとえば、ぜんねんふらんくふるとでのふぉん・びしょふのじけん。このけ んしゅつほうのそんざいがあらば、まさしくこうしゅだいゆきだった。あるい はぶらっどふぉーどのめいそん、なうてのまらー、もんぺりえのるふぇぶる、 にゅーおりんずのさむすん。このてんがきめてになったやもしれむじけんはな んじっけんとあげられる。」 「さながらあるくはんざいにっきちょうといったところかな。」とすたんふぉ ーどがわらう。「そのせんでしんぶんをそうかんしたらどうだ。なづけて 「 かこのけいじじけん」とか。」 よみものとしてもおもしろいものになるでしょう。」としゃーろっく・ほーむ ずはかえしながら、ばんそうこうをゆびのさしきずにちいさくはりつけた。「 きをつけねば。」とわたしにほほえんでみせると、「そうとうやくぶつにてを だしていますもので。」おとこのさしだしたては、にたようなばんそうこうや つよいさんによるはっこんとで、まだらもようのようになっていた。 「ぼくたちはようじがあってきたんだ。」とすたんふぉーどはきりだし、さん きゃくのたかいすとぅーるにこしかけると、あしでもうひとつをわたしのほう へよせた。「げしゅくさがしちゅうのこのゆうじん、きみはせっぱんするにん げんがみつからないとぶつくさいっていたものだから、つれてきたほうがいい かなとおもったんだ。」 しゃーろっく・ほーむずはわたしとへやをきょうゆうするというあんをきに いったようだった。「べいかーがいにめをつけたすいーとがあるんです。ぼく らのはだにあったぶっけんですよ。できれば、きついたばこのにおいをがまん していただきたいのですが。」 「わたしもしっぷすをつねづね。」 「よかった。かがくやくひんがいつもてばなせなくてときおり、じっけんもし ます。めいわくではありませんか」 「ぜんぜん。」 「うぅむ、ぼくのけってんはそれいがいに たびたびふさぎこんで、そのまま いくにちもくちをきかないことがあります。そのときは、ぶあいそうだなんて おもわないでください。すこしほうっておけば、すぐもとにもどりますから。 あなたもいっておかなければならないこと、ありますか どうきょをはじめる にあたって、おたがいのけってんをしっておけば、ふたりにはこうつごうでし ょう。」 はんたいじんもんのようなじょうきょうになり、わたしはわらってしまった 。「わたしはぶるこがいでして、それからまだしんけいがまいっておるもので すから、そうぞうしいのはいけません。とんでもないじこくにおきたり、きょ くたんななまけものでもあります。げんきなときはほかにもいろいろあくへき があるのですが、いまはこれくらいなものです。」 「ヴぁいおりんのえんそうは、さわがしいぶるいにはいるでしょうか」とお とこはふあんげにたずねる。 「そうしゃによりけりですね。ヴぁいおりんのたくみなせんりつはかみがみ にもいやしとなりましょうが、へたなせんりつとなると」 「ああ、それならいいんです。」とおとこはにんまりとして、「もうきまった もどうぜんですね。あとはあなたがへやをみてきにいるかどうかです。」 「いつごろがよろしいですかね」 「あすのしょうご、ここにきてください。ふたりでいって、こまかいこともき めましょう。」 「わかりました。しょうごきっかりに。」とわたしはおとことあくしゅをかわ した。わたしたちはかがくじっけんにもどったかれをのこし、ほてるへむかっ てあるきだした。 「わたしははたとたちどまり、すたんふぉーどのほうをむき、「ところで、な にがどういうわけで、あのおとこはわたしがあふがにすたんからきこくしたこ とをしっていたんだろうか。」 するとつれはまかふしぎなえみをうかべた。「そいつがあのおとこのきへきな んだよ。だれもがみんなして、みやぶりのたねをしりたがる。」 「ほぅ みすてりぃというやつか」とわたしはりょうてをこすりあわせた。「 あじなことを。ひきあわせてくれて、きみにはほんとうにかんしゃしている。 「にんげんのしんにけんきゅうすべくはひとなり」だろう」 すたんふぉーどはさよならついでに、「 まず、あのおとこをけんきゅうして みることだ。あたまのなかで、ことがこんがらがっていくにちがいない。きみ があのおとこをしるまえに、ぎゃくにしりつくされてしまうんだからね。それ では。」 「それでは。」とかえし、ほてるまでのみちをそぞろあるきながら、わたしは わがあたらしきちきになみなみならぬきょうみをおぼえていたのであった。